ログイン先に連絡が来ていた。だから、店に『竜王の使者』の竜人が来ても驚かなかった。「竜王の使者とは、オーレリウス様でしたか」「改めまして。オーレリウス・ウィンドスケイルと申します。ドラコニアで宰相の職をいただいています」「……宰相になられたのですか?」騎士だったのではないのか。サラリアにじっと見つめられ、オーレリウスは苦笑しながら頷いた。「ええ。出世しました」「ずいぶん道なりが気になる出世街道ですね」「その辺りは、追々」意味深な返事だった。これから先も関わるつもりなのだろう。そう思うとサラリアは少しだけ身構えた。「……どうぞ、お入りください」扉を開ける。「トールの熱の原因と、治す方法を教えてくださるのでしょう?」「そのために参りました」二人は二階へ上がる。リビングではソファに座ったトールが絵本を読んでいた。熱のせいか頬は赤く、いつもの元気はない。足音に気づき顔を上げる。オーレリウスは真っ直ぐトールの前まで歩き、片膝をついた。そして騎士が王へ捧げるように深く頭を垂れる。「お初にお目にかかります。オーレリウス・ウィンドスケイルと申します」「……だれ?」眠そうな声。それでもオーレリウスは笑顔を崩さない。「ドラコニアから来ました。今日はお母様を少しだけお借りしますね」トールは首を傾げた。ドラコニア。聞いた覚えはあるようだけど、意味はよく分からない。そんな顔をしていた。だが、嫌ではないようだ。驚いたことに、安心しているような顔をしている。「幼くてもやはり竜族ですね」「そうですね。瞳も鱗も竜族の特徴が出ています」おかげで直ぐに竜族の子どもだと分かってしまった。「違いますよ」オーレリウスはサラリアの言葉を笑って否定した。「この独占欲です」「え?」独占欲。「庇護欲にも似ていて、サラリア様を守る騎士のようですね」「私を?」守っている。何からと考えて、サラリアは内心苦笑した。店へ来る男たちにトールは不機嫌になっていた。男なら誰でもというわけではない。ただ一定の男たち。そういう男がサラリアに近づこうとすると、決まってトールは傍にきた。「私には番がいるから警戒する必要はない。トール様はそうご判断なさったのでしょう」オーレリウスの言葉にサラリアは納得した。半分は、その通りなのだろう。けれど、そ
「彼女の目に映る者も、彼女の声を耳にする者も、彼女に触れる者も、自分だけでなければ許せない」オーレリウスの声は穏やかだったが、内容は竜人らしい苛烈なものだった。「あとは、屋敷の奥の奥の、誰の目にも触れない場所に隠しておきたい宝物」オーレリウスは微笑む。「いっそのことパクリと一飲みにして、自分の体の一部にしてしまいたいですね」ラーシュは思わず苦笑した。「それが愛かどうかは分からんが、番に対する正常な感覚だな」「そうですね」オーレリウスも苦笑する。「番が愛そのものなのですから、番に対する感覚が愛としか言いようがありませんね」オーレリウスは肩を竦める。「食べてしまいたいのも本音です。食べて、私の血肉にしてしまえば誰にも奪われることもないし、誰にも触れられることはないですから」「それならばなぜ食ってしまわない」「彼女の全てが愛おしいからですよ。表情、声、そして匂い。全てを愛しているから、食べてしまうのは勿体なくてできないのです」できるかどうかではなく、勿体ないから食べない。人族のサラリアが聞けば悲鳴を上げそうな会話だった。「だからこそ」オーレリウスは続ける。「自分以外の男が彼女の目に映ることも、彼女の声を耳にすることも、彼女に触れることも我慢している陛下は、本当にサラリア様を愛しているのだと分かります」ラーシュは黙った。「荒れ狂う独占欲を」「……」「耐え難い苦痛を」「……」「サラリア様をこれ以上傷つけたくないという一心で耐えていらっしゃるのですから」それは事実だった。会いたい。抱き締めたい。傍に置きたい。全て本音だ。だが、それはもうラーシュの我侭でしかない。ラーシュが姿を見せるようなことがあれば、サラリアは身を売ると言った。
【ラーシュ視点】オーレリウスの報告を聞きながらこれまでを思い出していたラーシュだったが、苦い後悔の余韻に浸ることはできなかった。「陛下の後悔はさておき、いまはトール様の発現のほうが問題です」王に向ける言葉としては率直だった。だがラーシュは不快に思わない。むしろありがたかった。オーレリウスは必要なときに必要なことを言う。遠慮もしないし、忖度もしない。王であるラーシュに対してこれができる者はとても少ない。サリンドラ公爵家の事件以降、多くの者がラーシュに対して遠慮がちになった。ラーシュの粛清を恐れていたからだ。公爵家の家宅捜索の結果、多くの者が粛清された。表向きは潔白だった者も、徹底的な捜査によってサリンドラ公爵家の協力者だと分かり、城を追われた。一時は城に勤める者の数が事件前の三分の二になった。最も変化があったのはサリンドラ公爵がトップにいた宰相府だ。部署内は空席だらけになり、逃亡を恐れて即時逮捕だったため引き継ぎもできていなかった。宰相府を中心とした城内の混乱は、事件から四年たった今でも完全には建て直せていない。サリンドラ公爵の後任を、ラーシュは人望のあるウィンドスケイル公爵に打診した。建国三傑の血を引く名門。温厚な人格。そして貴族たちからの信頼も厚い。騎士団長である彼にとっては畑違いだと理解していたが、一時的な采配であり、混乱期を乗り切るには最適な人材だと思った。だが公爵は断った。「それにはオーレリウスが適任でしょう」彼の推薦は、そのまま次男であるオーレリウスの後ろ盾となった。それから四年間、オーレリウスはラーシュを支え続けてくれた。.オーレリウスは気が利き、頭の回転が速い。文官気質であり武芸は好まないと言いながらも、実家が武家だという理由だけで鍛錬を続けてきたオーレリウスは努力型で面倒から逃げない。そしてなにより、先入観を持たずに何ごとにも公平だ。特にサラリアに関しては、彼の公平さは顕著だった。「トール様が発現なさったとき、一番危険なのはトール様のお傍にいらっしゃるサラリア様です。頑丈な竜族ならまだしも、あの方は人族です」ドラコニア中が王竜であるトールに熱狂している中、オーレリウスだけはサラリアを気遣う。必要以上に気をかけているわけではない。ただ、多くの竜族はサラリアを見ていない。見ているのは
【ラーシュ視点】使用人ですら、ラーシュの傍にいることをシーリアは許さなかった。世話をする者はいた。だが、誰も長くは続かない。情を抱かせないため。信頼を築かせないため。ラーシュが誰かを好きにならないように。誰かを信じないように。短い期間で使用人は次々と入れ替えられた。だからラーシュには友人がいなかった。話し相手も。秘密を打ち明けられる相手も。誰一人。孤独だけが当たり前だった。だからこそ。シーリアが一人の少女を連れてきた日のことを、ラーシュは今でも鮮明に覚えている。「シーラよ」紹介された少女を見た瞬間、ラーシュは思った。――似ている。シーリアに。名前も。顔立ちも。仕草も。笑い方までも。当時は偶然だと思っていた。シーラはシーリアの双子の妹の孫娘。血が近いのだから、似ていて当然なのだと。だが、違った。調査ですべてが明らかになった。シーリアは自分によく似た彼女を選んでいた。血が近く、容姿も似ていて、自分の代わりになれる娘。ラーシュへフォーデンになることを求めたように。シーリアはシーラへ、自分になることを求めた。フォーデン役はラーシュ。シーリア役はシーラ。二人が愛し合う姿を眺める。そんな狂った芝居を完成させるために、シーリアはシーラを自分になるように育てた。年頃になると、シーリアはシーラをラーシュの婚約者にしようとした。だが、それは叶わなかった。議会が猛反対したからだ。シーリアの意向は絶対だった。幼い竜王の後見人。誰も逆らえない。それでも婚約だけは認められなかった。理由はいくつもあった。サリンドラ公爵家へ権力が集中し過ぎること。ウィンドスケイル公爵家との均衡が崩れること。そして、ハトコ同士という近すぎる血縁。近親婚による子への影響を示す研究結果まで提出され、病弱だったフォーラの存在も追い風となった。結局、それをシーリアは覆せなかった。その決定が下された直後だった。冬の朝。シーリアは死んだ。雪の積もる庭で。冷たくなった姿を庭師が見つけた。竜人が転落死するなど考えられない。原因不明。犯人不明。結局、不審死として処理された。本当は誰も真相など知りたくなかったのだ。ラーシュも。祖母の死を知ったとき、胸に浮かんだのは悲しみではなかった。ようやく終わった。よ
【ラーシュ視点】愛してくれるフォーデンを作る。その一文を初めて読んだとき、ラーシュは意味が分からなかった。何を言っているのか理解できなかった。だが、資料として残されていたシーリアの日記は、残酷なほど克明にその狂気を綴っていた。シーリアはフォーデンの子を身ごもったあと、シーリアはフォーデンに毎日少しずつ毒を盛っていた。少しずつ。本当に少しずつ。決して疑われない量を。愛しているという僅かな躊躇と、愛しているからこそという歪んだ正義感。その二つを抱えたまま、何年もかけてフォーデンを蝕んでいった。病死に見せかけるために。ゆっくりと。確実に。毒を用意したのはシーリアの父・スネルクだった。そして口止めとして、シーリアは父へ宰相の座を与えた。幼い息子フォーラが成人するまで国政を預かる権利まで。(息子……か)ラーシュは目を閉じる。その言葉だけで吐き気がした。シーリアにとってフォーラは息子ではなかった。代用品。自分だけを愛してくれるフォーデン。「愛している」と言えば、「私も愛している」と返してくれる存在。そのために生み出した子。だからフォーラだった。だが、それでも満足できなかった。一つは瞳。フォーデンの金ではなく、フォーラはシーリアと同じ紫を受け継いだ。そしてもう一つは身体。フォーデンは誰よりも強靱な武人だったがフォーラは病弱だった。(それでも王竜でない理由を誤魔化すには都合が良かったはずだ)だがシーリアは納得しなかった。違う。似ていない。ならば―――作り直せばいい。今度こそ理想のフォーデンを。母となる令嬢まで厳選し、シーリアはフォーラへ娶らせた。そして生まれたのがラーシュだった。フォーラは、ラーシュの誕生から間もなく死んだ。ラーシュの母もまた、出産後すぐ命を落としている。証拠はない。昔のことであり、シーリアが城を掌握していた頃に起きたことだ。今さら見つかる証拠などないだろう。それでもラーシュは確信していた。シーリアが殺したのだと。日記の最後に書かれていた、たった一言。【満足】その文字だけで十分だった。.ラーシュはシーリアにとって理想のフォーデンだった。健康な身体。黒い髪。そして、フォーデンと同じ金色の瞳。祖母は孫を愛していたのではない。フォーデンの器を愛していた。資料を読
【ラーシュ視点】なぜ、フォーデンはシーリアを愛せなかったのか。その理由がラーシュには痛いほど分かる。匂いは騙せても、本能までは騙せない。それが、あの薬の欠点だった。ラーシュ自身が身をもって知っている。シーラからはサラリアの匂いがした。だから嗅覚は叫んだ。シーラが番だ、と。守れ。愛せ。求めろ、と。だが―――それだけだった。サラリアに対して当たり前のように湧き上がっていた感情は、シーラには何一つ生まれなかった。胸の奥を焼くような焦燥。触れたいという衝動。抱き締めたいという渇望。喉が焼けるような飢え。傍にいても満たされず、離れれば狂いそうになるほどの欠乏感。それが番だった。理屈ではない。呼吸をするように、本能が勝手に求めてしまう存在。それがサラリアだった。だがシーラには何も感じなかった。理屈だけが「番だ」と訴える。身体は沈黙する。だから。ラーシュは最後までシーラを抱かなかった。求められても。手を伸ばされても。「番なのだから」と理屈では理解していても。身体だけは、どうしても動かなかった。沈黙する本能だけは、最後まで誤魔化せなかった。(……先々代も同じだったのだろう)フォーデンもまたラーシュと同じ違和感を抱えていたはずだった。当時を知る者たちは祖父母のことを仲睦まじかったと言う。祖父は、妻となったシーリアを愛そうとしたのだろう。匂いは番だという。番なのだから愛さなければならない。そう、自分へ言い聞かせながら。鳥族なんかに騙された竜王。その汚名を着せられたことも、その思いへ拍車をかけたのだろう。だから、理想の夫であろうとした。だが。愛は理屈ではなかった。フォーデンは最後まで、ビンガを愛したようにはシーリアを愛せなかった。それが愛する振りだったのか。違う形の愛だったのか。ラーシュには分からない。だが一つだけ確かなことがある。同じ愛ではなかった。その違いを一番理解していたのは、皮肉にもシーリア本人だった。見つめる目が違う。笑う顔が違う。ビンガが涙を流せば、フォーデンは政務を放り出して駆け寄った。だが。シーリアが泣いても、差し出されるのはハンカチだけだった。ビンガが少し熱を出しただけで夜通し付き添った。それなのに。シーリアが倒れても、フォーデンは侍従へ任せた。王妃と
「何が当然だっ!」「……兄上」「ふんっ! 誇り高い竜族のくせに兎族が番などという軟弱者がっ! まあ、人族よりは大分マシではあるがな」吐き捨てるような兄の言葉は竜族の本音なのだろうとサラリアは思った――――それと同時に。(この兄、本当に必要以上に情報を漏らすわ)サラリアは内心呆れたが、顔に出せばまたオーレリウスが殴られるかもしれないと思い無表情を保つ。視線だけ動かしてオーレリウスを見ると仕方がない人だと言っているようで、意外にも兄弟仲はいいらしいとサラリアは判断した。
「サラ、何をした?」ラーシュの声は静かで、そこにはラーシュが常にサラリアへ向けていた熱も甘さもなかった。あれほど優しく自分を見つめていた藍色の瞳が今は罪人を見定めるように揺れている。そんな氷のように冷たい目をサラリアは初めて向けられた。その視線にサラリアは一瞬だけ息を詰まらせた。本能的に恐怖を感じると同時に深く傷ついた。愛されていた相手から向けられる疑念ほど人を傷つけるものはない。しかしサラリアは後宮で学んでいた。誰も助けてくれない場所では、自分だけは自分を信じなければならない
目を覚ましたとき、サラリアがまず感じたのは金属が錆びたときのような臭いだった。ぼんやりした頭で体を起こし、ようやく自分が床に倒れていたことに気づいた。そのくらい、何が起きたのか理解できていなかった。顔にかかる髪を退けようとして、手のひらについた血に気づいた。真っ赤な血に対する反射的な恐怖心で動いたとき足が何かを蹴った。からんと金属音が響いた。視線をそちらに向けると短剣が床に転がっていた。その刃には血がべったりと付着していた。サラリアは一瞬呼吸が止まったが、視線はゆっくりと動いていた。
シーラはラーシュの前では可愛らしくて無邪気な姫だった。朗らかに笑い、ラーシュへ甘え、「兄様」と親しげに呼ぶ。幼い頃から大切に守られて育った名門令嬢そのものの彼女は誰が見ても愛らしく、誰からも好かれるような振る舞いをしていた。けれどサラリアには予感があった、シーラは自分を嫌っている。はっきりした根拠があるわけではないから誰にも言えなかったが、後宮という女の園で生きてきたサラリアには憎悪ともいえるその感情が感じ取れた。人は本当に嫌っている相手にほど優しく笑うことがある。そしてその予感は最悪の形で当







